5文型 必要? 不必要?
今日は日本の英語界に長年君臨する「5文型」について書いてみます。
諸説ありますが、そもそもはイギリスのオックスフォード大学の教授が1903年に自国民の英語学習の一助として書いた書籍が元のようです。
英語が日本に大々的に入ってくるのは明治時代で、このころ以降に例えばヘボン式ローマ字のヘボン夫妻(本当はHepburnなのでヘップバーンさんですが日本は何でもローマ字で読むのね・・)などの協力もありどんどん日本に英語が浸透してきます。5文型も明治以降の導入と言われています。
すでに軽く100年以上は過ぎていて、現代で英米人に「5文型」いいよね〜?って言ってもまず通じません。
そしてこの5文型は体系的に論理的に文法を学ぶには分かりやすくできて日本の受験業界では神のごとくあがめられてきたのです。
日本の国文法でも活用や助詞の使い方などを学びますが、考え方としては近いかもしれません。古文でも細かく文法を習いますよね。
私の結論としては5文型は悪いものではありません。仮に無駄になったとしても全て理解しても、まぁ一ヶ月もあれば理解はできるでしょう。
言語を5分類するだけですのでその後の学習に弊害がでることもないですし、理解のヒントにしてもよいと思います。
特に受験の世界では文の構造などをあえて問う問題も多いですので、受験生には必要な知識かもしれません。
また最低限の文法知識を持たずに、限られた時間で英語を学ぼうとすると、必ず不具合が出てきます。
ちょっと短期留学して英語をかじってきた人の英語が通じるけど、文法メチャクチャの口語表現で、相手にひかれてしまうこともあるでしょう。せめて中学生の文法と仮定法、分詞構文くらいは必要かと思います。
もちろん日本でも保育園からの一貫した英語教育やアメリカンスクールなど大量のインプットをしていく場合は自然と英語が見につくかもしれません。どう学ぶのがよいかは考え方と使える時間次第かと思いますが。
ただ、私が今回これを話題にしたのは、いわば解剖学的なルールブックである
『5文型を学んだだけで、英語ができた気になるのは危険ということです。』
いわゆる高学歴の方に多いのですが、受験では神のごとく高い偏差値を出してきたにも関わらず、割とかんたんなTOEICの広告問題が解けなかったり、すべての英文にSVOCをつけたがり、さらに時間が足りずに読みきれないという方を目にします。
つまり、スマホでもゲームでもなんでもそうですが、説明書だけ何十回も読み込んでも使いこなせてはいないということです。
大事なのは「実践」です。これがなければ語学は前に進みません。そして大学受験以降英語しなければ語彙はなくなり、「語彙さえあればなぁ」といいます。語彙さえではなく、語彙こそが言語の中心なので、インプットをしない学習者は衰退しかありません。
もし「5文型」という「神様」のみを拝み続けているのであれば、ぜひ前に進むことをおすすめします。
ときには多読多聴といった大量のインプットが必要となります。
そして文法を理解するメソッドは正直なんでも構いません。SVOCだろうがSVXだろうが〇〇メソッドだろうが、言葉は変わらないので、それを解剖したものも似たりよったりです。
「5文型」の知識しかないものが「5文型」をしれば英語は完璧だ!と言っている実情はまだまだ続くでしょう。だって英語の指導者である学校や塾の先生に一番「5文型マニア」が多いのですから。
しかもそのマニアたちは、高速で頭の中で5文型を考えて、しゃべったり、書いたりできる優れたスペックがあるので、一見英語の理想形態に見えるでしょう。
でも、日本語をしゃべるときに何活用の動詞を使って、この助詞は識別すると〇〇だからとか考えますか?
高速頭脳英文組み立て型英語では、会話でも必ずタイムラグが生じます。
とはいう私も、そうやって育ってきたのでまだまだ癖が抜けませんが、はやくナチュラルスピードで応答できるようになりたいものです・・・。
「言語は反射的にスポーツのように」出てこないと言語とは言えません。
繰り返しますが、5文型の理解は英語のゴールではありません。最低限のルールブックを手にした程度です。
しっかりインプットして、世界で使える英語力を身に着けたいものです。(^o^)